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2009/11/23 10:29
バカなことばかりやっているような我が家だが、たまには真面目な話もする。
二男が、突然、「芸術と娯楽とはどう違うのか」などと質問してきた。
「たとえば、映画にも、芸術大作とか娯楽大作とかいう言い方があるけど、どう違うのか。感覚としては分かるけど」
と尋ねてくる。
二男の質問に、はるか以前、恩師に「純文学と大衆文学の違い」というようなことを質問したことを思いだした。
恩師は、
「簡単な線引きはできないし、することが必要だとも思わないが、あえて言うなら、『純文学は人間を描くのが主眼』なのに対して、『大衆文学はストーリーを描くのが主眼』と言えるだろうか」
と答えて、
「もちろん、本当にすぐれた純文学は、ストーリー的にも面白いものも多いし、一方、本当にすぐれた大衆文学は、ストーリーを通して、そこに生きている人間の営みが活き活きと感じられるものだろう……そういう意味では、やはり線引きはあいまいだが」
のように付け加えたのを覚えている。
僕なりに、今では、恩師の言葉をヒントに、それからの創作活動の中で、
「純文学……人間を通して、人間を描くもの」
「大衆文学(エンターテインメント)……ストーリーを通して、人間を描くもの」
といったようなイメージでとらえている。
結局、どちらも、最終的な狙いは、『人間を描くこと』が主眼でなくてはならないし、そのアプローチとして、ややストーリーが重きが置かれているのが、エンターテインメントだということだ。
僕自身、純文学系の創作から始まって、現在では、エンタメ系の作品を書いているわけだが、
「最終的な狙いはストーリーではなくて人間」
ということは、いつも肝に銘じて書くようにしている。
さて、冒頭の二男の質問だが、上記のような「純文学と大衆文学」「人間とストーリー」といった話をしながら、
「芸術は作品そのものに寄与する。芸術の目的は、作品そのものであって、結果として人間の感情に働きかける」
「娯楽は作品を通して人間に寄与する。娯楽の目的は、作品を通して人間の感情に働きかけようとする」
といった風に話してみた。
もちろん、これは純文学と大衆文学との比較と、相似形ではないし、答えとしても、まったく不十分なものだ。
二男は、納得したのか、腑に落ちないのか「ふーん」と首を振っていたが。
……
針金ハンガーをかぶった直後だっただけに、その極端な飛躍は楽しかった。
針金ハンガーには、哲学的思考を呼び覚ます効果もあるのか?
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